西播磨の中核として☝️
昨日11日(土)、第3回目となる[たつの史最前線]の講座に参加。コーラスの練習を中座して駆けつけ、今のところ皆勤です。
今回は龍野文化資料館に会場を移し、開館30周年を記念した『維新のたつの特別展』の展示資料を中心に、ベテラン学芸員の新宮氏のユーモアを交えた公演に、参加者も暑さを忘れて、真剣に耳を傾けました。
館内はエアコンによってとても快適ですが、狭隘なために全員総立ちで、各々の展示物の前に集合しては説明を受け、そして次へと移動を繰り返すこと1時間。
興味深い明治維新によって、長く続いた封建的武家社会が崩壊し、新たな時代への幕開けを迎えようとする大変革期のたつのを目の当たりにして、現代たつのの歴史の躍動感を実感する貴重な講座となりました。
中でも、明治元年の版籍奉還によって、龍野藩最後の殿様であった脇坂安斐(やすあや)候は、藩主から藩知事にそして、明治4年の廃藩置県によって、龍野県が誕生しました。新しい西播磨の中心として、産声を上げましたが、3年後の明治7年、姫路を含む飾磨県に併合され、残念ながら龍野県はその短い歩みに終止符を打つことになりました。
やがて飾磨県も兵庫県に併合され、今日の五国(阪神、播磨、丹波、但馬、淡路)の姿になります。
東は明石から西は赤穂までの広大な播磨の国の中で、龍野県が存続していれば、西播磨の中核としてのたつのの使命と役割も大きく違っていたかもしれません。
その名残として、龍野小学校体育館前の家老門には、当時龍野県庁の堂々とした看板が掲げられていたそうですので、是非お訪ねいただき、変革期のたつのを体感して下さい。
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