いにしえの交流の要衝❗️

去る12日、本年初となるたつの市民歴史講座が開催され、岸本文化財課長の熱弁を拝聴させていただきました。
今回は道路の話題ですが、『すべての道は、ローマに通ず。』と表現されるように、国家の運営そして統治、特に軍事的な意義も含め、古代より道路が極めて重要なインフラであると認識されていました。
我が国でも、約1300年前の7~8世紀頃、古代日本の地方の国府と朝廷をつなぐために、大規模な官道の整備が始まった。
当時、大和を起点とする主要な官道として、山陽、山陰、西海、南海、東海、東山、北陸の7道が優先的に整えられた。なかでも、朝廷と太宰府を結ぶ山陽道は、唯一『大路』と格付けされ、その重要性はやがて鎌倉時代の元寇で、証明されることになります❗️
延長600キロに及ぶ山陽道には、約70ヶ所の駅家(うまや)が設置され、市内で唯一布勢駅家が置かれ、常時20頭もの馬を駅長が準備し、大変賑わっていたことでしょう❗️同様に美作道の越部駅家には、5頭の馬が準備されていたそうです。
駅家の規模は、80㍍四方の6400㎡の広さに、建物は瓦葺白壁で7棟に及び、宿泊施設も併設され、現代のホテル付きサービスエリアを思わせる。
官吏の移動、通信に利用され、都の文化の交流にも大いに寄与した駅家は、868年の貞観大地震で崩壊し、再建されることはなかった。しかし、日本初の駅家発掘の箇所に選ばれた布勢駅家の遺跡のある揖西町小犬丸は、西播磨の交通の要衝であったことは間違いない。この古代の遺跡をたつのの宝として保全し、発信強化の取り組みを地域上げて推進したいものです❕